2012年4月21日土曜日

PIAZZA WANA


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ただいま介護中 「登録ヘルパー奮戦記」 by Utsunomiya
ライター兼登録ヘルパーが綴る、介護の現場よもやま話


第26回「福祉用具専門相談員講座を受講して」

ホームヘルパー2級資格を取得して、いつのまにやら12年もたってしまった。
この12年間で介護の世界は激変した。2000年に介護保険制度がスタートし、介護事業者が一気に増加。日本は誰もが認める超高齢社会となり、介護や認知症といったものへの世間の理解もかなり進んだ。
しかし、介護の世界がどんなに変わっても、私がヘルパー研修で勉強した内容は12年前のまま。その後、現任研修なども少しは受けたが、現行のヘルパー研修カリキュラムを見ると、「私が資格取得したときよりよほど充実してる・・・」と焦りを感じてしまう。
そんなこんなで日頃の勉強不足を解消し、改めてフレッシュな気持ちになろうと、「福祉用具専門相談員」講座に通ってみた。

12年前とは比べものにならないバリエーション

福祉用具専門相談員とは、福祉用具の選び方や使い方についてアドバイスする仕事で、主な働き場は福祉用具・介護用品の販売・レンタルをするショップなど。こうした事業所には、最低2名の福祉用具専門相談員を配置させる決まりがある。
講座は誰でも受講できるし、5日間40時間の講習を終了すれば、無試験で資格を取得できる。以前から興味はあったものの5日間連続の休みが取れず、なかなか取得できないでいた。しかし最近、ライターの仕事に余裕ができたのを幸いに、電車で30分ほどの教室に通うことができた。

講義の内容は福祉制度の概要から介護の実習まで幅広い。
受講者は20代から60代までさまざま。福祉系専門学校に通っている現役の学生さんか ら、早期退職して第2の人生をはじめようとする熟年男性まで、世代も職業もいろいろ。もちろん、介護施設や介護ショップに勤める人もいた。(しかし、ライターという職種はやはり私ひとり。どこに行っても珍しがられてしまう)

講義内容でなにより印象的だったのは、12年前に私がヘルパー講座を受けたときより、はるかに福祉用具の種類や数が充実し、使い方を教える講義が充実していること。
この講座ではリフトを使った車いすからベッドへの移乗を実習した。お恥ずかしいことにリフトで介助するのも自分で試すのも、実はこれが初めて。ヘルパー講習では教えてもらえなかったし、その後訪問した利用者宅にもなかった。(リフト設置は費用もかかるし、リフォーム工事の規模も大きくなる。設置家庭が少ないのはご� ��当然のことだ)
ライターの仕事でリフトという福祉機器はもちろん知っていたし、利用者の症状に合わせてスリングシートを選ぶことも知識として知っていた。しかし、知識として知っていることと実際に扱ってみることは、料理本を読むのと実際に料理をつくってみるのと同じくらい落差がある。
また、12年前は「なるべく福祉用具を購入せず、利用者さんの自宅にあるものを活用して介護をしましょう」という風潮があった。介護保険制度もなく、介護ショップなんて街で見かけたこともない時代。年金生活のお年寄りに経済的な負担をかけまいとする、しごく常識的なスタンスだった。

ところが、時代は変わった。
今なら介護保険を使えば1割負担で購入できる。車いすや介護ベッドといった高価な福祉機器も、以前� ��りはるかに豊富なバリエーションの中から、利用者が好きなものを選んでレンタルできる。メーカー間の競争も激しくなり、快適なだけでなく見た目もオシャレなものが発売されるようになった。
もちろん、措置制度時代に比べ、高齢者の実質負担が増えているケースも少なくないわけだが、選択肢が広がることは悪いことではない。

5日間、新しい知識を吸収し、気持ちもリフレッシュできた。
次は、この知識をどうやって生かしていくか。介護の勉強に終わりはないと、つくづく思う。


第25回 ユニバーサルデザインを考える(その2)

ユニバーサルデザインが解決しなくてはいけない広い意味でのバリア(障壁)に、「あり余る時間」「過干渉・没干渉」「インフラの不整備」があり、前回は「あり余る時間」を利用者の方々がどう過ごされているかを書いた。
今回は「過干渉・没干渉」に象徴される人間関係について考えたい。

過干渉・没干渉の蔭に思惑あり

介護が必要なお年寄りを目の前にして、家族の中の一体だれがその作業を担当するのか? 
一般的に同居する家族がその役目を担当するが、そのあまりに大変な作業を目にして、同居していない親族が没干渉気味になるケースがよくある。

たとえば、ひとり暮らしや夫婦で老々介護するご家庭では、息子夫婦が全� �寄りつかなくなるケースがある。お中元やお歳暮はきっちり贈ってくるのに、顔は見せない。聞けば1年に1度敬老の日だけ孫を連れてやって来るという。敬老の日に老親の家を訪れれば義務を果たしたと、この息子さん夫婦は考えているのかもしれない。敬老の日なんて、やっぱりない方がいいのではないだろうか。

息子が介護をする場合、仕事との両立が必須だ。「嫁に介護をさせる」という発想は、今の30代40代には少ない。無理強いすれば家庭が壊れる。そんな彼らが目を向ける先は、やはり「プロの介護」。直接ヘルパーに「毎日来てくれないかなぁ」と交渉する息子もいた。彼は病気で両足切断された父親Pさんの目の前で、
「親父のワガママは無視してください。キリがないから」
と言ったが、私はPさんがワガママ� �は1度も感じたことがなかった。彼は久々に会う父親が予想以上に弱っている様子を見て、こう考えたのかもしれない。
「弱ったなぁ。俺や嫁さんは仕事があるから介護できないよ。兄貴たちは適当な理由で介護から逃げて、俺に任せきるつもりじゃないだろうな。ここはとにかくプロを掻き集めて乗り切らないと」
こうした息子たちの思惑はともかく、プロの手はどんどん借りてほしい。でないと、家族の介護地獄はいつまでたってもなくならない。

全体に、私が訪問したご家庭はなぜか息子さんしかいないケースが多く、娘さんがいればまた違った展開があるのかもしれない。が、これこそ介護を女性に押し付けてきた日本社会の悪習慣。「美風」という便利な言葉で片付けられてきた女たちの苦労を、次の世代で絶対に繰 り返してはいけないと思う。

一方、介護で家族が過干渉になるケースは私たちヘルパーの出る幕がなく、あまりお目にかかる機会がない。むしろ、ヘルパー自身があれもこれもとお年寄りの世話を焼きすぎるケースが少ないながらも存在する。
介護の基本は「残存能力を活かす」こと。つまり、お年寄りの残った能力を失わせないためにも、できることは自分でやっていただくのが原則だ。日常生活でできる範囲で身体を動かすことがリハビリにもつながるし、それが本人の精神的な支えにもなる。
ところが、ヘルパーが1対1で要介護老人と向き合うと、本人ができるところまでつい世話を焼いてしまう。善意や親切心から出た行為なのだが、やり過ぎはよくない。
自宅の電話番号を教えてしまったために朝に晩に利用者か� ��電話がかかってくるようになり、つい情にほだされて夜中でもヘルパーが駆けつける例もあるという。こんなことが続くと、やがてヘルパー自身も疲れ果て、自ら希望して担当から外れていく。ところが、利用者は次のヘルパーにも同じことを要求してしまう。「前のヘルパーさんがしてくれたから、当然次のヘルパーさんもしてくれる」と利用者が思い込むのもムリはない。
これこそ過干渉が生んだ弊害ではないだろうか。

人間関係のほどよい距離を保つのはむずかしい。
しかしつくづく思うのは、若い頃から配偶者や家族に依存していた人ほど、介護者に依存するケースが多いということ。人生のたそがれ時もできる限り自立して過ごしたい。そのためには早いうちからの精神的自立が欠かせないと、しみじみ思う。


第24回 ユニバーサルデザインを考える(その1)

「ユニバーサルデザイン」という言葉が定着して早や数年。メーカーの新商品開発の切り口に欠かせない、一大コンセプトに成長した。
ライターという仕事がらメーカーのコピーを書くこともあるのだが、そんな折りユニバーサルデザインに関して面白い考え方を耳にした。ユニバーサルデザインが取り除くバリア(障壁)はなにも段差や動かない関節ばかりではない。寝たきりのお年寄りがもて余す「あり余る時間」。親から子、子から親への「過干渉や没干渉」。病院に行きたくても近所にないので行けない「インフラの不整備」。こういったものも、社会的・心理的バリアなのだという。
こうした発想の転換から、ライフスタイルを変えるような画期的な発明 が生まれるのかもしれない。そんな夢を抱きながら、現状のバリアを考えてみた。

「あり余る時間」をいかに過ごすか

寝たきりでなくても、時間を持て余す人は多い。
若い頃は忙しく立ち働いていた人も、足腰が弱るとできる作業が少なくなり、必然的にヒマになる。多趣味だった人も、ベッドの上でできる趣味となると限られてくるだろう。かといって終日ボンヤリ過ごしてばかりだと、痴呆の恐怖が目の前に迫るし、なにより退屈でしかたがない。そんなわけで上半身を起こせる人や痴呆の症状がない人は、できる範囲の趣味を持ち、有意義な時間を過ごそうと努力されている。

70代の男性Kさんの趣味は囲碁と俳句。囲碁の本を片手に、NHKの対局中継を見ながら時間を過ごされる。俳句もやはりNHKの衛星放� ��で楽しまれており、視聴率は低くてもこうした番組には不可欠な需要があると感じさせられる。

60代の女性Lさんは、日がな1日テレビを見て過ごされる。見る番組は幅広い。ドラマ、ワイドショー、プロ野球中継から、旅行番組(それも国内のごく近場が喜ばれる。昔旅行したことがある場所なら、懐かしさが募って一層うれしいようだ)まで、いつも見たい番組を探してリモコンでチャンネルを替えておられる。阪神タイガースの試合結果や芸能人のスキャンダル情報など、私が訪問して教えていただくことも多い。
正月明けの訪問のとき、「紅白歌合戦、よかったわぁ」とうれしそうにおっしゃるLさんを見て、NHKの紅白歌合戦とはこうした世代に支持されているのだなと改めて思い知ったものだ。

同じく60代の女性Mさん は切り紙細工が趣味だ。折り紙で花や草木を切ったり折ったりし、トレイに配置して糊づけするのだが、なかなか繊細で手間のかかる作業だ。「作り方、教えてあげるわよ」と何度か声をかけられたが、私にその時間がなく、おつきあいできないのが心苦しい。
最近、区民センターで障害者の創作作品展が開かれ、Mさんも切り紙細工を出展された。外出できないMさんの代わりに息子さんが立ち寄られ、展示の様子をデジカメに収めて見せてくれた、と笑顔で報告してくださった。

いろんな趣味を見せていただいて、自分の老後を想像することもある。
私は若い頃から多趣味な方だが、身体がいうことをきかなくなってもできる趣味というのは限られてくる。読書。ビデオ鑑賞。音楽。スポーツ中継の観戦。パソコンももっと進 化したカタチで触れ合えるかもしれない。パソコンができればもの書きもできるので、ひょっとしたら仕事ができるかも(!)しれない。双方向映像配信技術も飛躍的に進歩しているだろうから、自宅にいながら老人ホームの茶話会のようなこともできるかも。
思いつくことはさまざまだが、要は趣味を楽しもうと思う気力があるかどうか。そして、経済的な余裕があるかどうかだ。お金をかけない趣味ももちろんあるが、「あり余る時間」というバリアを超えるには、本人の気力がなによりも大切なのではないだろうか。


第23回 福祉用具あれこれ(その2)

いろんな福祉用具が販売されてはいるものの、高齢者ひとりひとりに合ったものは意外に少ないという話を前回に書いた。
その一方、お年寄りや家族は自分たちが少しでも快適に過ごせるように、いろいろ工夫されているケースを目にする。たとえば・・・

身の回りの品で創意工夫も

自力で動けない利用者が少し離れた場所のモノを取る際に使用する「リーチャー」と呼ばれる福祉用具がある。オモチャで見かけるマジックハンドみたいなものだ。
リーチャーを初めてカタログで見たとき、「なるほど」と感心した。いくら自宅とはいえ、なんでもかんでも手の届く範囲に置いておけないし、軽いモノならリーチャーがあれば便利なはず・・・と思っていたと ころ、ある利用者はクリーニングの針金ハンガーを捻じ曲げ、オリジナルのリーチャーを開発されていた。竿にかける部分の曲がり具合が、モノを引っ掛けるのにちょうどいいそうだ。彼女は針金ハンガーを使って新聞やひざ掛けを引き寄せ、ご自分が気に入った場所に置いておかれる。その創意と工夫に思わず唸ってしまった。

慢性の病気をもつお年寄りの場合、服用する薬の量がハンパではない。以前、訪問先で2週間分の薬を仕分けしていたが、優に1時間はかかる作業だった。しかも朝食後・昼食後・夕食後・就寝前と、4回に分けて4〜5種類の薬を飲み分けねばならず、食後の薬をお渡しするのに介護者はいつも手間取ってしまう。
そんな手間を省いてくれるのが、1日4回×1週間分の薬の仕分けと保管ができる薬ボッ クス。最近は一般の通信販売でも見かけるようになった。薬の種類は病状に応じて変わるので、お年寄りや家族も把握していないケースがあり、ひと目見て飲む薬がわかるボックスはとても重宝。錠剤はあらかじめアルミケースから出しておいてあげれば、誤嚥も防げる。
ボックスをわざわざ購入するとお金がかかるので、私は訪問先でお酒を飲むお猪口を利用させていただいた。お猪口を4個並べて、「朝」「昼」「夕」「夜」と書いたシールを貼り、それぞれに薬を仕分けする。1日でお猪口は空になるが、翌日訪問したヘルパーさんが同じように仕分けをして下さればOK。飲み忘れも一目瞭然で、健康管理にも役に立った。

歩行困難なお年寄りの場合、部屋や廊下に手すりがあるとないとでは行動範囲に大きな差が出る。� ��ころが、日本の住宅事情では歩行用の手すりをつけられない間取りも少なくない。そんなとき、お年寄りが家具の取っ手を利用して立ち上がったり、歩いたりされるケースを見かける。家具から家具へと次々につかまり立ちして、ゆっくりと進む様子は、歩きはじめたばかりの幼児の姿に少し似ている。
あるご家庭では、家具の取っ手にタオルハンガーの大きな輪を取り付け、お年寄りが掴みやすいように工夫されていた。ベッドからトイレに向かうとき、まずベッドのサイドレールを持って座り、目の前のタンスの取っ手を持ってグイッと立ち上がる。そこから先は壁を伝ってトイレへ。日本の狭い住宅事情が逆に幸いした(?)例かもしれない。

私自身、慢性の腰痛で立ち上がるのも困難なときがある。そんなとき、リーチ� �ーや手すりがあればどんなに助かるかと、つい想像してしまう。イスやテーブルに手をつき、必死で立ち上がろうとする自分の姿は、訪問先でお見かけするお年寄りの姿とまさに同じ。異なるのは私の腰痛は3,4日休めばマシになるが、お年寄りのからだのつらさは1年365日休みなく、これから先もずっと続くこと。そう考えると、からだの痛みを和らげる福祉用具、「ああ、ラクになった」と思える福祉用具の開発は必要不可欠だ。
介護に関わる者として、そして私自身慢性の痛みを抱える者として、「からだがラクできる」ための技術革新が、一歩でも前進することを願ってやまない。


第22回 福祉用具あれこれ(その1)

先日、新聞にこんな内容の記事が載っていた。
「ある会社が点字付きのキッチンタイマーを開発した。ところが、視覚障害者のうち点字が読めるのは約15%と指摘され、勉強不足を痛感する結果となった」
さもありなん、と思わせる内容だ。
身体障害者や高齢者向けの福祉用具は、数え切れないほど市場に出回っている。ヘルパー研修では福祉用具のことをあまり教えてもらえなかったが、カタログを見ると「こんなものまであるの?」と思わせる充実ぶりだ。しかし、身体障害者や高齢者の症状は各人各様。その人に合う福祉用具を簡単に手に入れるのは、現状ではなかなか難しい。

身近なモノこそ求められている

ベッドや車いすなど大型の福祉用具� �テレビコマーシャルでも見かけるし、体験教室などもあって、比較的世間への認知度が高い。個人で購入するには単価が高いが、レンタル制度も充実しており、必要に迫られて導入する人は多いだろう。
しかし、日常生活での細々としたモノは軽視されやすく、ついあきらめの境地に陥ってしまう。
たとえば、靴と靴下。
日本人に多い脳血管障害で片マヒが残った利用者の場合、片足だけが異常にむくんでいる場合があり、むくんだ片足だけ靴を履くのに苦労する。片足ずつサイズ違いを指定できる福祉用の靴もあるが、このサービスを知っている利用者は少ないのではないだろうか。
むくんだ足には靴下のゴムも辛いと訴え、靴下の足首部分をハサミで梳いて履いておられる方もいた。細かなゴムが露出し、見た目にはカ� ��コ悪いが、からだの苦痛には代えられない。ゴムがゆるく、それでいて簡単には脱げない靴下がどこかにないものかと思う。

慢性関節リウマチの利用者の場合、指先がほとんど使えない。以前、指先に力がなくても手の甲で使えるスプーンをオススメし、大変喜んでいただいたことがあった。その利用者が最初に気にされたことは「スプーンの重さ」だった。健康な人間ならスプーンの重さなんて気にならない。しかし、リウマチに苦しむ利用者には、スプーンの重さが自力で食事できるかどうか、瀬戸際の重要ポイントなのだ。知識では知っていたが、目の前にいる人から突きつけられると改めて健常者と身障者の視点の違いを実感させられた。

必要は発明の母というが、10人の利用者がいれば10通りの福祉用具が必要な気が� �る。
人類が二足歩行を始め、両手にモノを持てるようになって以来、人はモノを作り続けてきた。コップひとつとっても、人類の歴史に匹敵する歴史がそこにはきっとあるのだろう。それに比べて、福祉用具の歴史はまだまだ始まったばかり。高齢者や障害者がラクできるモノが、今後もどんどん生まれてくることを期待している。


第21回 利用者は海外旅行禁止?

「介護保険てしょうむないなぁ。あんな制度、なかったらええねん」
久々にわが家を訪れた私の母がこんなことを言い出した。理由を尋ねると、母は父方の親戚の話を持ち出した。


どこかの植物細胞ストアの水と有機化合物

母と父方の叔母とは長年の犬猿の仲なのだが、その叔母が軽い脳梗塞を2度3度と繰り返した。幸いにもごく初期の段階で入院したため、後遺症は比較的軽く済んだ。昨年、私が会ったときには、足元はおぼつかないもののなんとか歩けるし、言葉もすんなりと出てくる。どこかぼんやりとした印象なのは、脳の病気なのだから当然だろう。
現在、叔母は90代の姑と二人暮らし。「この様子では家事は無理だろう」と思い、叔母の娘つまり私の従妹にヘルパー利用を勧めた。「まず要介護認定を受けて、認定されたらヘルパーを派遣してもらって・・・」と説明すると、従妹は一生懸命聞いてはいるのだが、どうもわけがわからないといった様子。� �叔母さんのあの様子なら、要介護には認定されなくても要支援は間違いないと思うし、家事援助を受けることができたら○○ちゃんも助かるでしょう?」と繰り返し言うと、従妹はようやく「ヨウシエン」=「要支援」だと理解した。その場は決めかねていた従妹だが、その後近所のヘルパー派遣事業所を訪れ、要介護認定の手続きをしたらしい。叔母の家には、ヘルパーさんが定期的に訪れ、家事をお手伝いするようになった。
私の母が面白くないのは、叔母の家にヘルパーが訪れるようになったことだった。

高齢者が互いに理解しようとしない現実

「しょっちゅうヘルパーさんが来て、家事をやってくれるらしいわ。そんなこと、あの叔母さんにしたる必要あらへん」
と息まく母に、私は反発した。
「ヘ ルパーを頼むようにアドバイスしたんは私やで。なんで叔母さんがヘルパー頼んだらアカンの?」
「あの叔母さんはな、家事は人に頼むくせに海外旅行には行くんやで。海外旅行行ける人にヘルパーなんか必要ないわ!」
要するに、海外旅行に行けるぐらい元気な人に、なぜ国の制度で介護の手を差し伸べなければならないのか。要介護認定の基準はおかしくないのか。怠け者に楽をさせるための介護保険なら、毎月徴収されている介護保険料がもったいない・・・そんな言い分だった。

私がヘルパーとして叔母の様子を見たとき、叔母には支援の手が必要だと思った。そして実際、叔母には「要支援」もしくは「要介護」の認定が下された。ヘルパーが派遣されれば、叔母も助かるし、家族も助かる。毎週手伝いに通ってい� �従妹もこれで楽になる。すべてめでたし、めでたし・・・のはずが、思わぬところで怒っている人間がひとりいた。
長年の恨みつらみを考慮しても、母の視野の狭さ、見識の低さは言うまでもない。母も叔母も同じ60代後半。いつ自分がヘルパーのお世話になるのかわからないのに、人が世話を受けているのが気に入らないとは了見の狭い話だ。むしろ、叔母のように後遺症の残る病気になっていない自分の健康を喜ぶべきではないか。海外旅行だって、叔母より母の方がよっぽど自由に出かけられる。

それよりもこの一件では、介護保険に対する一般人の認識の低さ、受け取り方の個人差をまざまざと思い知らされた。「実家の家事を手伝うのが大変」とこぼす従妹には、「ヘルパー」という選択肢が全く見えていなかった。ご� ��軽い症状の叔母の例ひとつで、「介護保険なんてなかったらええねん」と制度そのものを否定してしまう私の母のような人も存在する。
また、介護保険は本人や家族の自由意思で申請するものだから、あきらかに必要と思われる人でも「人様のお世話になりたくない」「他人が家の中に入ってくるのはイヤ」といった理由で申請しない人が多い。反対に、利用できる制度はとことん利用する人もいる。どちらも本人の自由のはずだが、前者は後者が気に入らないし、後者は前者を「頭がカタイのね」と片付けてしまう。

以下は余談。
叔母の海外旅行は当然付き添いの人間が必要なのだが、子どもたちは海外旅行に反対しているため、絶対に付き添わない。結局、叔母の妹たちが順番に付き添っているらしいが、これがかなり大 変らしい。もし海外で脳梗塞を起こしたら、入院費用や付き添いの手間など相当な人手とお金が必要になるだろうが、叔母は一切意に介していない。
入院先を見舞った私に、「次はどこに行こうかしら? どこがいい? そうそう、オーストラリアは行ったことある?」と、ひたすら海外旅行の話をしていた叔母。周囲を省みず、自分の欲求だけ追求する姿も病気のなせる技かと哀れな一方、唯一の楽しみを奪っていく老いと病気に、生きることの困難さを感じずにはいられない。


第20回 腰痛はヘルパーの職業病

最近、持病の腰痛が悪化した。
もとはといえばライターの仕事で傷めた腰なのだが、この数年のうちに椎間板ヘルニアへと悪化。半年に1度は腰痛で寝こんでしまう。いちばん最近は2002年6月、世間がワールドカップで盛り上がっているさなか、徐々に痛みが強くなり、ついには立つのがやっとになった。当然、ヘルパーの仕事もできない。しかたなく派遣事業所に連絡して休みをもらい、チーフヘルパーさんに訪問を代わっていただいた。
そのときはまだ「1週間休めば、いつものようにラクになるだろう」と考えていた。が、今回の腰痛はひどかった。1週間たっても2週間たっても、まだ痛みが引かない。ムリして訪問しても利用者に気をつかわせるだけだと考え、3週目も休� ��せていただいた。それでなくてもヘルパーの仕事は腰に負担がかかる作業が多い。3週も休むとさすがに「私はヘルパーとして役に立たないかも。ひょっとしてクビになるのでは…?」という考えが頭をかすめた。

利用者の手紙に励まされて

介護に関わる人すべてにとって、腰痛は頭の痛い問題だと思う。
寝たきりの人を起こす。立ちあがったときにからだを支える。抱きかかえて移動させる。車いすを押す…すべて介助者の腰に負担がかかる。
現在、私が担当している女性利用者Jさん宅での活動内容は「全身清拭と足浴」。横になったJさんの衣服を脱がせるとき、着ていただくとき、そして足浴のときは、どうしても前かがみの姿勢になる。これが腰痛の身にはたまらなくツライ。というより、腰痛がヒド イときは前かがみの姿勢がとれない。
実は以前、活動中に軽いギックリ腰になったことがある。Jさんの足を洗っている最中、突然腰にギクッときて、その場に手をついた。驚いて「大丈夫? 大丈夫?」と何度も尋ねるJさんに、「すみませんが、少しだけ横にならせてください」とお願いし、リビングの床に寝転んで腰を伸ばしてみた。なんとか動けたので最後まで活動を終え、すぐに行きつけの鍼灸院で治療してもらい、軽くてすんだ。
Jさんは30年以上慢性関節リウマチという難病と闘い、からだの痛みにとても理解のある方だ。「私も昔、腰痛に苦しんだのよ」とおっしゃい、足浴はしかたないにしても、足浴の後、両足に薬を塗る作業をラクにしてあげる、と翌週からは薬を塗る間、両足をイスの上に上げてくださった� ��おかげでかがむ時間が1/3以下になり、私の腰には本当にありがたかった。

その後、なにかにつけ「腰を大事にしなさいよ」とアドバイスを受けた。30年以上に渡り痛みと闘い、今も寝たきりにならないように日々努力されている方だ。アドバイスにも説得力がある。「腰痛は治るのよ」とおっしゃるのも心強い。Jさんがおっしゃる腰痛克服法は、とにかく歩くこと。腰痛にはウォーキングがいちばんだという鍼灸師さんの意見とも一致していた(鍼灸師さんからは以前、水泳も勧められた)。

ところが私の場合、平日はライターの仕事、土曜はヘルパーの仕事、他にも家事や諸々の用事があって、水泳もウォーキングもするヒマがない。気持ちはあるが、時間がない…という状態がここ2年ほど続いていた。そんなところへ、� ��回のキツイ腰痛がドーンと来た。

7月に入っても相変わらず痛みが引かず、「担当を他の人に変えられるかもしれない」と心配していたところ、Jさんのご主人が突然わが家に現れた。Jさんのご主人はクリーニング店経営。私の住むマンションにもよく出入りされており、私の部屋も把握しておられた。
「ウチのヤツから手紙を預かってきました。宇都宮さんには2年も続けてもらったから、ぜひこれからも続けてほしいんですよ」
ご主人から渡されたJさんの手紙は、「からだの痛みは私も身にしみてわかります。ゆっくりと休んで、またウチに顔を出してください」と思いやりのあふれる文面だった。不自由な手でこれだけ書かれるにはさぞ時間がかかっただろうと、思わず涙が出そうになった。

その翌日、今度は事 業所の地区担当者から電話があった。
「ウチとしてはJさんの担当を続けていただきたいけど、宇都宮さんが痛くてムリなら、もっと腰を使わなくてもいいケースに変わりますか?」
これまた私を責める様子は微塵もなく、本当にありがたい言葉だった。しかし、あんなに私の腰痛を心配してくださったJさんと、腰痛が原因でお別れになるのは忍びない。
「これからもJさんを担当させてください」と頼んで、活動に復帰することになった。

今、この原稿を書いている瞬間も、まだ腰痛はある。が、ヘルパーもライターも私が続けたい仕事。痛みとつきあいながら、やっていくしかない。
また、私が休んでいた間、活動を代わってくださったチーフヘルパーや他のヘルパーさんたちに感謝の気持ちでいっぱいだ。今後� ��ヘルパーを続けていくこと、誰か他のヘルパーさんが倒れたときはできる限り協力することが、私にできるお返しだと心に刻んでいる。


第19回 60代は家電好き?

私事だが、先日わが家の洗濯機を買い換えた。
19年目になる洗濯機はしばらく前から突然止まったり、ときどき排水ができなくなったりし、さすがに「そろそろ寿命だな」と感じていた。60代の女性利用者Hさんにこの話をすると、「早く買い換えなさい」と云われたが、電器店に行くのが面倒なので先延ばしにしていた。すると、Hさんから「もう買い換えたの?」「どうして早く買わないの?」と度々質問を受けた。
同じく60代の女性利用者Iさんは、家で1日中テレビを見るのが日課だ。民放のBSデジタル放送が始まったとき、Iさんは私に「BSデジタルって、どんな番組があるの?」と質問された。Iさんが見る番組はドラマとワイドショーとプロ野球中継。それなら地上波だけで充分だ。「BS� ��ジタル内蔵のテレビはとても高いし、まだもったいないですよ」とお答えしておいた。

Hさん、Iさんに限らず、60代の利用者のお宅を訪問してとみに感じるのは「家電製品が大好き」だということだ。

家の中に並ぶ最新鋭の家電製品

お年寄りの家にやたらとモノが多いことは以前にも書いた。
さらに、私の訪問地域は大都市圏でもあり、全般に狭い家に住んでおられることも書いた。
しかし、どのお宅を訪問しても感じたのだが、テレビは必ず大画面の新しいタイプを所有されている。電子レンジも9割方あったし、炊飯器はIHジャーがほとんど。ハッキリ云って私の家よりよほど進んだ家電製品を置いておられるのだ。

たとえば前述のIさん宅などモノが多すぎて、家の中は人間2人すれ違うのがやっと� �スペースしかない。その狭い家の中心に、ドーンと鎮座するのが大画面テレビ。しかし、テレビの下の畳はもう何十年も畳替えをしていないのだろう。茶色く変色し、ささくれを隠すために上から何重にもじゅうたんを敷いてある。家電製品にはお金をかけるが、家にはお金をかけられないのだなと考えさせられた。

毎朝、新聞を読むついでに大手家電量販店の新聞折り込みチラシをじっくり見るのが習慣のHさんは、「こんなの出てるのね」「これってどうなのかしら」と、家電製品の写真を見ながらあれこれとおしゃべりをされる。
ある日、姪ごさんにCDラジカセをプレゼントしたいと云い出され、私に買ってきてほしいと依頼された。CDラジカセとなると3〜4万円はする高価なもの。電池や野菜を買いに行くようなわけには� ��かないので、「少し時間をください」とお願いした。ご要望にお答えしたい気持ちはあるのだが、とにかく買いに行く余裕がない。一方、Hさんからは訪問するたびに催促される。しまいにシビレを切らしたHさんは近所の買い物好きの奥さんに頼んでしまわれた。
姪ごさんは伯母さんのプレゼントをとても喜ばれたらしいが、特にCDラジカセが欲しかったわけではない。20代の女性ならきっと他に欲しいモノは山ほどあるはずだ。CDラジカセを選んだのはHさんの一存だが、それにしてもなぜCDラジカセなのだろう? 

そんな疑問を持っていたとき、またまたHさんから「洗濯機は買ったの?」と聞かれたので、思いきって「Hさんの世代の方は、家電製品を買うのがお好きですよね」と話題を振ってみた。するとHさんは照れ笑いしなが ら、「憧れなんですよ、私たちの世代の」とおっしゃった。
「若い頃、テレビのある家が羨ましくて羨ましくてねぇ。今でもつい新しい家電が出ると買いたくなるんですよ」
予想どおりの答えだった。Hさんの世代の方にとって、家電製品は豊かな生活の象徴なのだ。しょっちゅう買えるものではないが、チラシが入ればつい見てしまう。人が買うときは、つい口出ししてしまう。家にはお金をかけないが、家電にはお金をかける60代。こうした世代ごとの特性は、観察してみると本当に面白い。

さて、私たちの世代が老後を迎えたとき、いったいなににお金をかけようとするだろうか。元気なうちは旅行に行くだろうが、からだの自由がきかなくなったとき、果たしてなにを買ってきてもらいたがるだろう? 洋服? 雑誌?� �レンタルビデオ? やっぱり大画面テレビの前で、1日中ドラマやワイドショーを見ているだろうか。
全く見当がつかないので、30年後の楽しみにしておこう。


第18回 ヘルパーに求められるもの

ヘルパーは「人格的専門職」だと宣言する専門誌のコラムを最近目にした。
ヘルパーという仕事が世の中全体に認知されるようになり、折りからの不況もあって、再就職の仕事に選ぶ人が増えた。20代の若い女性や男性ヘルパーも確実に増えている。しかし、その中にはヘルパーの仕事に向いていない人も、ごく一部だが存在する。
ヘルパーにいちばん必要なものはいったいなんだろうか?
介護の知識はもちろん必要だし、トイレ介助や入浴介助が上手なら本当にすばらしい。お料理上手に越したことはないし、仕事も遅いよりは早い方がいいに決まっている。しかし、お年寄りや家族が「次も来てほしい」と思うヘルパーは、こうしたスキルだけで選ばれているわけではない� �、これまでの経験から痛感している。

ヘルパーは「人柄」で選ばれる。

ヘルパー研修を受けて資格を取ったのなら、最低限の介護や家事ができるのは当たり前のこと。慣れないうちは失敗もあるし、時間もかかるが、経験を重ねるうちに介護や家事は上達する。
利用者がヘルパーに望んでおられるのは、この最低限の作業に加えて、次のような人物像だと思う。
お年寄りの気持ちを汲んで、望むとおりにしてあげられる人。お年寄りや家族の話を我慢強く聞いてあげられる人。一緒に喜んだり悲しんだりしてあげられる人。利用者の立場に立って考えられる人。お年寄りのプライドを傷つけない人……数え上げ出したらキリがない。要するに、「一緒にいると、ひととき病気や悩みを忘れて気が紛れる人柄」な� �だ。
家族はお年寄りと24時間一緒に暮らしているので、ヘルパーが訪問したときぐらいゆっくりしたいはず。お年寄りも家族の顔ばかりでは飽きてくるし、外から入ってくる他人は新鮮だ。家族が1000回以上聞かされて少々うんざりしている話も、他人なら我慢強く聞いてくれる。もちろん、家族に代わる存在はいないが、介護にかかわる当事者には息抜きの時間が絶対に必要だ。

しかし、介護の知識や技術は研修で教えられても、「人柄」だけは教えることができない。10人いれば10通りの性格があるように、ヘルパーといってもさまざま。前述したような大筋さえ外さなければ、いろんなヘルパーと接する方が、お年寄りも刺激になっていいと思う。
逆にごく少数ではあるが、ヘルパーの態度に首をひねった経験をご紹介する と……

●お年寄りや家族に高飛車に接する
もしヘルパーが「助けてあげてるのよ」などと本気で考えているとすれば、とんでもないことだ。恩着せがましい人はヘルパーに向いていない。ただ、高飛車に見えるだけで本人はごく普通に接しているつもりの人、いわゆる「モノの云い方を知らない」人も、お年寄りや家族から見れば、前者と同じに見えて損である。
あるヘルパーさんが利用者の昼食の内容を見て、「そんなモン食べてるんですか」と発言したことがあった。その利用者は偏食が激しく、食べ物に関して人の意見を受け入れない人だった。私も遠まわしに何度も食べ物の大切さをお話したが、やはり利用者の習慣が変わることはなかった。しかし、初対面の相手にいきなりキツイ口調で云われた利用者と家族は、� �ばらく沈黙。気まずい空気が流れたが、このヘルパーさんはまるで気付く様子もなかった。

●自分のやり方を押しつける
研修や本で学んだ知識を利用者に教え、実践しようとするのは、私の想像ではヘルパーになりたての人に多い。たしかにビックリするような生活習慣の利用者は存在するので、つい口を出してしまうのだが、反発されるか聞き流されることが多く、耳を傾ける方は少ない。あまり押し付けがましく云うと、お年寄りが嫌がり、自然と会話も減っていく。

以上、あくまでも一例だが、実際に見聞きしたことを書いた。
私自身も含めて、ヘルパーの職に就く人は、常に自分を振り返って考える必要があると思う。


第17回 介護を妨げる日本の住宅事情

先日、ある介護専門紙に、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんのインタビュー記事が載っていた。ホスピスを運営し、人の死期を見つめつづけてきた日野原院長は、90歳にしてバリバリの現役。「有終の美」(人生の9割が苦難に満ちたものであっても、死を迎えるときに幸せを感じることができれば、その人生は幸福)という考えを説いておられる。
たしかに、病院でチューブだらけになって死んでいくよりも、住み慣れた我が家で静かに最期を迎える方がはるかに幸せだ。そのためには、在宅介護・看護の充実が欠かせないのだが、その障害となっているのが日本の住宅事情だという。
日本のお年寄りは本当にひどい住宅環境で暮らしていると、私もヘルパーのひとりと してずっと感じていたので、記事を読みながら大きくうなずいてしまった。

住まいが分けるお年寄りの生活


家フィンチを取り除くためにどのように

「家が狭い」というのは、日本全体を覆う不満だと思う。
狭い国土に1億2500万人の人口。しかたがないと、みなあきらめているが、いざ在宅介護となると住まいの事情は深刻だ。都市部でヘルパーをしているせいか、余計にそう思う。特に昭和20〜30年代に建てられた戸建て住宅や団地を訪問すると、今更ながら日本の住宅事情のひどさに驚くことが多い。
まず介護ベッドを置く場所がない。ベッドを置くと狭い部屋はさらに狭くなり、ベッドの脇で壁に張り付くようにして介護する家もあった。なんとかベッドを置ける家も、片側を壁にぴったりと寄せなければならない。そのため、ベッドの背を上げたり下げたりするリモコンが、壁とは反対側� ��しか吊り下げられない。片半身マヒのお年寄りの場合、リモコンの吊り下げ位置がマヒ側に当たると、リモコン操作はもうお手上げだ。
台所でお年寄りと一緒に料理を作るときも大変だ。とにかく狭くて、身動きが取れない。満員電車の中で料理をする感じ、といったところだろうか。さっと鍋を取りたいときや火を止めたいときも、お年寄りがじゃまになり、動けないことがままある。逆に言葉が思うように出ないお年寄りは、私のことをじゃまだと感じてもとっさに「どいて」と云えないため、無言で突き飛ばされたこともある。
そして、さんざん云われていることだが、和風住宅のバリア(障壁)の多さ。玄関のあがり框、廊下と部屋、部屋と部屋との間の段差、狭くて急な階段、お勝手口の大きな段差……数え上げればキ� ��がない。
玄関の段差のせいで、外出をあきらめるお年寄りが日本中にどれほどいることだろう。
また、浴室の段差、トイレの段差につまずいて骨折し、そのまま寝たきりになるケースがどんなに多いことか。

住み慣れた自宅をバリアフリーにリフォームするのは、かなりお金がかかる。介護保険から9割支給してもらえる住宅改修も、上限額が20万円。これでは手すりをつけただけで終わってしまう。
しかし、家の中の段差を解消し、手すりをつければ、ご自分でトイレに行けるお年寄りはいっぱいいらっしゃる。現に片足切断・片半身マヒの男性が、市営住宅をバリアフリーに改修して、ひとり暮らしされているケースもあった。寝室からトイレまでの段差を取り除き、家の中はコマ付の事務用いすで移動する。玄関はス� ��ープを置いて、外出時は電動車いす。3度の食事と掃除はヘルパーに頼み、入浴はデイサービスですませる。ひとり娘がそう遠くない場所にお嫁に行ったのだが、頼る気配は一切ない。その凛として穏やかな様子に、心から敬服したものだ。その一方で、段差が怖くてトイレに行けず、おむつをつけさせられているお年寄りも存在する。
住まいはこれほどに人を分けるのだ。日本人はもっと住まいに関心を持っていいと思う。


第16回 毎回同じ家庭を訪問する理由

ヘルパーをしていてよく受ける質問に、「毎回同じ家に行くの?」というものがある。私は「もちろん同じご家庭に毎週行きますよ」と、いつも答えている。
お年寄りの症状や希望はひとりひとりバラバラなので、ひとつひとつのケースを覚えるには、ある程度時間が必要だ。たとえば「調理」ひとつ頼まれても、味の好みから野菜の切り方、米の置き場所まで、家庭によって違いがある。初めての訪問は、ヘルパーがそれら家庭の事情を覚えて、利用者にはヘルパーの顔を覚えてもらうことに費やされる。だから、まともにお役に立つのは2回目以降…と思っていたので、この質問はいつもフシギだった。

慣れが生むメリットとデメリット

ところが、ある介護専門誌の記� ��を読んで驚いた。アンケート調査の結果に、利用者が戸惑う点として「毎回来てくれるヘルパーが違う」という項目があったのだ。
「できれば同じヘルパーさんに来てもらいたい」というのは、利用者なら当たり前の心情だと思う。毎回違ったヘルパーさんが来るたびに、米の置き場所や味つけを教え、ひとつひとつの注意事項を繰り返さなければならないなんて、私が利用者でも「勘弁して」と云いたくなる。
もちろん、初めての訪問の前に、事業所からこと細かな指示はあるが、それでも実際に現場に立たないとわからないことは数多い。雑然とした家の中で、お昼に飲む薬がどこにあるのか、前もって聞いていても見つけるには時間がかかる。そんなこんなで、初回の訪問は予定の時間をオーバーすることが多い。2度3度と� �問を重ねるうちに、ヘルパーが要領を覚えて時間オーバーは少なくなるのだが。

しかし、実は毎回同じヘルパーが訪問することで起こる弊害もある。
週に3日、1年も通えばヘルパーと利用者はかなり親しくなる。家族のように心が通じ合うことも出てくるが、逆に家族のように甘えも出てくる。お互いにワガママも出てくるし、機嫌の悪いときはキツイ態度になることもあるかもしれない。
私が所属している事業所では、馴れ合いの関係になるのを防ぐために、週6日訪問のケースではヘルパーを3名ぐらいに分散させている。月・水はAさん、火・木はBさん、金・土はCさんといった具合だ。これなら、Aさんが急病になっても、Bさん、Cさんでフォローでき、しかも介護のクオリティは普段どおりに保つことができる。
利用者も人間ならヘルパーも人間。複数のヘルパーが1軒のお宅を訪問すると、今度は当然、相性の良し悪しがある。利用者が複数のヘルパーを比べることもあるし、Aさんの悪口をBさんに言うこともある。Bさんには優しく接しても、Cさんには厳しく接する人もいるかもしれない。
利用者の家という密室の中で1対1でお世話をする場合、煮詰まった人間関係は結構つらいものがある。そこで、ヘルパーから「2年ぐらいで担当先を変えてほしい」という要望が出ることもあった。

これ以外にも、あまりにも慣れすぎて、利用者の健康状態の変化に気づかないこともあるかもしれない。慣れというのは恐ろしいもので、家族同様の気安さを生み出す反面、家族同様利用者の微妙な変化に気づかなくなる。また、家の中が不衛生 だったり、不健康な行為をされている場合、当初は驚いてあれこれ工夫するのだが、長く通ううちにヘルパーもその状態に慣れてしまうケースもあるだろう。「慣れてはいけない」というのは、ヘルパーの仕事に限らずよく聞くセリフだが、「慣れなければやってられない」ケースもヘルパーの仕事の中にはいっぱいあると思う。


第15回 親の自立、子の自立

ある場所で、50代の女性と話をする機会があった。その女性には20代の娘さんがいらっしゃるのだが、さっさと親元から独立し、まともに連絡もないという。女性はそのことが不満でたまらないらしく、「今の若い人は、もっと親孝行しようと思わないのか。親を温泉ぐらい連れていってやろうという気持ちはないのか」と、ずいぶんご立腹だった。
現在パート勤めの彼女は心身ともに健康この上ない。しかし、現時点での子どもへの要求の高さを見た限りでは、歳をとり、からだの自由がきかなくなると、子に頼ろうとする可能性が高いように思う。
果たしてそのとき、彼女の子どもたちは彼女の面倒をみようとするだろうか?

親の面倒をみるのは当たり前??

都市部でヘルパー活動 をしているせいか、私がこれまで訪問したケースはひとり暮らしか、夫婦2人世帯が多かった。ご夫婦の場合は、どちらかからだの動く方が世話をされており、子どもに介護を頼る家庭はほとんどなかった。
なぜだろうか?
まず、子どもの世代は30〜40代が多く、働き盛りで介護にかかわる時間がない。長引く不況で労働条件はますます悪くなり、正直云って自分たちの生活だけで精一杯だ。
次に、30〜40代の「嫁」たちに、「嫁が義父母の世話をすべき」という考え方はほとんどない。「嫁」に子どもがいる場合は、「当然、義父母より子ども優先」だし、子どもがいない場合はなにか仕事を持っている。「息子」たちは「嫁」の考えに逆らう気は毛頭ないし、嫁に自分の親の介護を強制する男性は、この世代にはまれだ。要する� ��、自分たちの家庭が優先なのだ。
また、都市部では、いわゆる世間体意識が希薄だ。「からだの弱い親をひとり暮らしさせて…」と、面と向かって非難する人間もいない。
そんなこんなで、親が強硬に「一緒に住んでくれ」と訴えない限り、あるいは子どもが家賃をケチらない限り、親子は別居になる。
しかし、私のヘルパー先では、子どもを悪く云うお年寄りは驚くほど少なく、「子どもには子どもの生活があるのだ」と淡々と受け止めておられるように見えた。時代の流れに逆らえないことも大なり小なりわかっておられるだろうし、他人の前で弱音を吐きたくないというプライドもお持ちだろう。

話を冒頭の50代女性に戻そう。
彼女と話していると、日本人がまだまだ「自立」にほど遠いことを実感する。「親は 子を育ててあげたのだから、子は親の面倒をみるのが当たり前」―――この常識(?)のもとに、多くの女性たちが介護を強制され、自分の人生をあきらめてきた。それと同じ人生を、子の世代に要求していいわけがない。
彼女の話をヘルパー先の60代の女性にしたところ、こんな答えが返ってきた。
「みなさん、いろんな不満をおっしゃるけど、根っこはひとつやねぇ。子どもはね、小さいときにかわいい姿を毎日見せてくれる。それだけで充分なんですよ」
私もこの意見に賛成だ。子どもは親に「産んでください」と頼んで生まれてきたわけではない。親が生んで育てた結果として、この世に存在しているだけ。当然のことながら、愛情をもって育てられた子は、誰でも親に感謝し、深い愛情を抱いている。ただ、人として� �立していくためには、いつか親元を離れていくのが自然の摂理。寂しさもあるだろうが、子どもの自立を喜ぶことが、親の自立ではないだろうか。
そして、いつか親が老いて介護を必要とするようになったとき、介護を子どもや家族に押し付けてはいけない。介護を必要としているお年寄りと家族を社会全体で支えていく制度を、一刻も早く充実させなければならないと改めて思う。


第14回 家族の健康、ヘルパーの健康

またヘルパーの集団健診の季節がやって来た。お年寄りを介護するには、まず介護者であるヘルパーが健康でないといけないのは、ごく当然のこと。毎年、全額事業所負担で健康診断を受けさせてもらえる。本当にありがたいことだ。
しかし、実は私は数年来の腰痛持ち。ヘルパーの仕事ではなく、ライターの仕事で腰を痛め、そのためにヘルパー活動も休ませていただいたことがある。どちらも腰に負担がかかる仕事なのでツライところだが、どちらの仕事も続けたい。しかたがないので、最近はコルセットをつけてヘルパー先に通っている。

それにしてもヘルパーの仕事というのは、思った以上に休みが取りにくい。
お年寄りも家族の方も、ヘルパーが来るのを毎回待ちかねておられる 。ヘルパーがこなす仕事内容は、毎日の生活上必要な作業ばかり。調理を担当するヘルパーが来なければ、その日1日お年寄りは食事をとれないかもしれない。清拭や入浴介助をするヘルパーが来ないと、汗まみれのからだで、次の訪問日をひたすら待つことになる。オムツ交換など下の世話になると、さらに悲惨だ。オムツが汚れたまま我慢しなくてはいけないなんて、この世の地獄だろう。そんな切実な事情があるのだから、ヘルパーが急に休むととんでもない迷惑をかけてしまう。

「ムリしない」ことのむずかしさ

ひとり暮らしのお年寄りだけでなく、同居する家族もヘルパーを待ちかねておられるのは同じ。普段介護をされている家族も60歳以上の老老介護が大半を占めるのが、日本社会の現実だ。自分のからだ� ��あちこちガタが来る年齢で、人の介護をするのは本当につらい。
だからヘルパーが訪問し、お年寄りがまだ元気な場合はたとえ2〜30分でも散歩や買物にお連れすれば、それだけでずいぶん喜ばれる。中には私がお年寄りのお相手をしている横で、つかの間の眠りにつく家族もおられた。昼間寝ていて夜眠れない昼夜逆転症状のお年寄りにしょっちゅう起こされ、まともに眠ることもできないのだ。こんな生活が60歳過ぎたからだに、どんなに応えることだろう。
つまり、ヘルパーはお年寄りの健康状態を観察しながら、家族の健康にも気を配り、なおかつ自分も健康でいなくてはならない。家族の健康はお年寄り以上に心配のタネであり、気を配る比重は予想以上に高い。なぜなら、家族が倒れたら、もう在宅介護はムリという結� �になりかねない。家族が入院し、お年寄りは施設に……そんな光景は実際、日常茶飯事だ。
そんなわけで、家族に「あまりムリしないでくださいね」と声をかける回数が自然と多くなる。家族からは礼をいわれたり、「自分のからだには気をつけてます」というお返事が返ってきたり。しかし、ヘルパーがお年寄りのそばに滞在する時間は1日せいぜい2〜3時間。それ以外の21〜22時間は家族が世話をするしかない。そんな状況を「でもヘルパーさんは2時間しかいたはらへんし…」と、率直に語る人もいる。

考えてみればヘルパーを頼む家族は、まだ自分たちの限界を知っており、「介護疲れから心中」などという最悪のパターンから遠い存在であることが多い。逆に、他人の手を借りることを嫌い、なんとしてでも自分たちだけで� ��後まで面倒をみようとする家族が危ない。そういう閉ざされた状況の家族に、「他人の手を借りるのは恥ではない」と伝えるにはどうすればいいのだろう。
かくいう私も、腰が痛いときは本当にヘルパーを頼みたい気分だ。コルセットをしながら人の世話をする…この「ムリ」は私の家族にとっても面白い状況では決してない。


第13回 痴呆症のお年寄りと接して(その2)

2歳半になる姪の相手をしていて、ドキッとすることがあった。姪が私に相槌を求めるときのセリフと表情が、以前お世話させていただいた60代の痴呆症の女性Gさんにソックリなのだ。痴呆になると過去に戻ると言われているが、Gさんはまだ現状認識のできる軽い痴呆症だった。相手に心の交流を求める無邪気な表情が2歳児も60代も同じとは……。ひととき、人間について考えさせられた。

痴呆症のお年寄りは、頑固なこだわりを持っておられることが多い。「頑固」はお年寄り全般に通じることだが、痴呆症の場合、ややその度合いが強くなる。目的が達せられるまでヘルパーや家族を呼び続けたり、あるときは泣いたり叫んだり、人によっては暴力をふるったり。言葉で� ��願いしても通じるものではなく、失礼ながらオモチャ売場でほしいモノを買ってもらえずにダダをこねる子どもに似ていなくもない。
しかし、子どものワガママにもときには真実の心の叫びが混在するように、痴呆症の方のワガママ(?)も無視できないなにかがある。ヘルパーはできる限り要望を聞いてあげるのが務めだと、自分に言い聞かせている。

猛暑の部屋で日に日に衰えて

70代の痴呆症の女性Hさんは、からだが冷えることを極端に怖れられていた。
もともと骨粗そう症で、家の中で転び足を骨折して以来、寝たきりの状態になり痴呆が進んだ。ご自宅で80代の夫が世話をされており、家政婦さんとヘルパーが週3日ずつ交代で訪問していた。
からだが冷えると全身が痛むのだろうが、Hさ� �の恐怖感は尋常ではなかった。気温35℃を超える猛暑の日にも、決して窓を開けさせない。エアコン、扇風機などもってのほか。夫がいる隣の部屋のエアコンも絶対に使わせない。おかげで、夫は暑さに参ってフラフラになられていた。
家中閉め切った中で、Hさんは首筋や腕など手の届くところにシッカロールをはたきつける。「充分付いてますよ」と云っても、はたきつけるのをやめようとされない。おかげでシッカロールの粉が部屋中に舞い上がり、やがて床もテレビの上もうっすらと白くなる。また、養命酒を枕もとに置いてよく飲まれるので、玄関のドアを開けたとたん、いつも養命酒の匂いが漂っていた。

夏場は全身の清拭を行ったが、Hさんの部屋はサウナのように暑く、お世話をする私の目にも自分の汗が入る ほど。同時に、日に日にHさんの肌に汗疹(あせも)が広がっていくのがわかった。猛暑の中、冬用の下着を身につけ、「なんだか暑いわねぇ」とサイダーばかり飲んでおられたのだから、当然汗が出て、汗疹になる。清拭剤を使ったり、薬を塗ったりしたが、原因の発汗を抑えなければ意味がない。窓を開ければいい風が吹き抜け、室温も下がるとわかっていたのだが、ご本人が絶対に許されない。夫はとうの昔に説得をあきらめ、「本人の好きなようにやらせてやってください」とおっしゃるのみ。しかたがないので、Hさんが昼食をとるわずか5分間だけ窓を開け、空気を入れ替えた。それが私にできる限界だった。
ようやく猛暑も峠を越えた8月下旬ごろ、Hさんは目に見えて衰弱し、緊急入院された。若者でも夏バテする季� �だから、Hさんが衰弱されるのは当然のことだと思う。そして、それきり退院された様子はない。

Hさんは大嫌いなエアコンの効いた病室で、いったいなにを思って過ごされただろうか。そして、Hさんが弱っていくのを目のあたりにしながら、どうにもできなかった無力感が私にまとわりついて離れない。他のヘルパーさんにこの話をしても、「しようがないわよ。自分が頑固なんだから」で片付けられてしまう。こうして自分で自分の健康を害していくお年寄りがどれほど多いことか。健康と引き換えに頑固な嗜好が守られ続けていくのを、ヘルパーは黙って見ているほかないのだろうか。


第12回 痴呆症のお年寄りと接して

石川県の特別養護老人ホームで入所者の女性が鉢植えの球根を食べ、球根の中に含まれる有毒物質で中毒症状を起こし、死亡されたという新聞記事を読んだ。亡くなられたご本人やご家族を心からお気の毒に思うと同時に、特養の職員さんにもやはり同情してしまう。まさか球根を抜いて食べるとは……知れば知るほど驚きが尽きない痴呆の世界を垣間見る思いだ。

ヘルパーをしていると痴呆の高齢者のお相手をすることが多いが、女性はとにかくお話好き。2時間の活動中、ずっとしゃべっておられることも珍しくない。
お話の内容は子ども時代や若かりし頃の思い出話、家族のことがほとんど。子ども時代の思い出話は微に入り細に入り語られ、その様子を見ているとふと、「若い頃よりも年� ��とってからの方が、子ども時代のことを鮮明に思い出すものなのだ」とフランスの作家マルセル・パニョルが『少年時代』の冒頭に書いていたのを思い出す。


タンデムリピートは何ですか

介護のプロもだまされる演技力

70代の女性Eさんのお話には、明治生まれのお母さんがよく登場する。家には毎日御用聞きが訪れ、一家の主婦であるお母さんが玄関で毎日の食材を注文しておられたという。「母は家から出ることなんてなかった」というEさんの言葉に、「これぞ奥さま」と私も改めて納得した。女学校時代、Eさんは洋裁を習いに神戸まで通っていたが、サボって映画ばかり見ていたと漏らしたことがあった。そのときは、「この人にそんな一面があったのか」とひそかに驚いた。気位が高く、少しとっつきにくかった利用者が、ぐっと近く感じられた瞬間だった。
5分ごとに同じ話をくりかえすEさんは、誰が見ても明らかな痴呆症� �ったが、一見しただけでは痴呆症とわからない方もたくさんいらっしゃる。
90代の女性Fさんはとにかくしゃべり口調がしっかりしておられる。相手の言葉に相づちを打ち、自分の意見もよどみなく述べる様子を見ていると、彼女が痴呆症だとはすぐにはわからない。そのFさんに付き添って公園を散歩していたとき、古い知り合いの方に声をかけられた。
「久しぶりねえ、元気にしてた?」
「あんたこそ。お元気そうでなにより」
で始まった会話は、「お互い健康に気をつけて」というお決まりのオチで幕を閉じた。しかし、「今のはどなたですか?」とお聞きしても、Fさんは「さあ…?」。5分後には、知り合いに会ったことすら忘れておられた。
そんな調子だから、ヘルパーの顔と名前なんて、まるで覚えておられな� �。自分のところにやって来て、部屋の掃除をし、散歩に同行する女性をFさんはいったい何者と捉えておられるのか、聞いたところでまともな返事は返ってこないだろう。痴呆症の母親を描いた『お母さんは宇宙人』という橋幸夫さんの著書があったが、Fさんを宇宙人だとすると、地球人のフリがやたらとウマイ。
以前、Fさんがまことしやかにお嫁さんの悪口をおっしゃるため、デイサービス先の老人保健施設の職員が真に受け、「お姑さんにやさしくしてあげてください」とお嫁さんに語りかけたことがあったという。施設の職員すらだまされるFさんの演技力には脱帽するのみだが、お嫁さんはストレスがたまってお気の毒だった。ご近所の方も最初はFさんが痴呆症だとわからず、「おばあちゃんにゴハンも食べさせない嫁」だと� �じていたという。そのときのことを憤まんやるかたない様子で振り返るお嫁さんのグチを聞くのも、ヘルパーの仕事のひとつである。


第11回 利用者とのトラブル

これまでのヘルパー経験で、一度だけ「これは許せない!」と思ったことがある。
利用者はDさんという70代の男性。つい最近、奥さんに先立たれ、マンションに一人暮らしのDさんは、脳梗塞の後遺症で片半身マヒが残り、肺の病気も患われている。毎日交代でヘルパーが訪問し、食事の用意や掃除、洗濯、し瓶の処理が主な仕事。すぐ近所に息子さん2人が住んでおり、交代で父親のマンションに泊まり、身の回りの世話を続けておられた。
私が訪問しはじめたとき、Dさんは奥さんを亡くされた直後で、かなり精神的に落ち込んでおられる様子だった。寂しさからだろう、掃除をしていても「まあ座りなさい。話でもしよう」と話し相手をほしがられる。ところが、いざテーブルに向かい 合って座っても、なかなか共通の話題が見つからない。Dさんはご自分が主導権を持って話をしたいのだが、なにを話せばよいのかわからないようで、結局子どもや孫の自慢話が多くなった。
そんな状態が2ヵ月も続くうちに、Dさんは「子どものいない人間は○○○だ。人間として、なにかが欠落している」と言い出すようになった。○○○とは差別用語なので、とてもここには書けないが「障害者」を指す言葉。もちろん、私に子どもがいないと知った上での発言である。最初は聞き流していたが、ある日、テーブルにつくようにしつこく云われ、しかたなく座った後に云われたセリフがこれだった。

ヘルパーは部下ではない

Dさんはかつて鉄工所のワンマン社長だった人。人からアドバイスされるのは大嫌いだが、� ��には説教したくてたまらない。私を「若くて愚かなヘルパー」と見なし、自分を「思慮深い年長者」と考えているのは知っていたが、ヘルパーの活動中にこんな説教をされてはたまらない。しかも、その内容はあくまでもプライバシーであり、私の努力ではどうしようもないことだ。
こんな暴言を毎回云われたくなかったので、今日は徹底的にDさんと話し合おうと腹を決め、Dさんの真意を探った。「なぜそんなことをおっしゃるのですか?」「そんなことを云って、私が傷つくとは思わないのですか?」「プライバシーは関係ないのではありませんか?」…いろいろ角度を変えて質問しても、Dさんは「わしゃ知らん」「わしが云うてるんとちゃう。昔の人がそう云うてるんや」と逃げの一手。「Dさんが立派な大人の男性だと思うか� �、私はこうして話し合っているのですよ」と云ったときには、さすがに動揺していたが、「いや、わしはただのボケた年寄りや」と都合のいいときだけ弱者に変貌する姿には、人間のイヤな部分を一挙に見せられた気がした。

私たちは、「ヘルパーは家政婦ではない、利用者と対等の立場だ」と教えられてきた。そのためDさんにも対等の立場で接していたが、そのあたりがDさんの気に食わなかったのかもしれない。あくまでも推測だが、Dさんにとってヘルパーは部下であり、口ごたえせず、自分にかしづく使用人のようなものなのだろう。自分と対等に話をする娘ぐらいのヘルパーを小憎らしく感じ(もちろん敬語を使い、Dさんの話もちゃんと聞いたが、私自身の意見を述べることもあった)、「こいつをヘコませてやれ」と意図� ��て発言したのがあの一言だったのではないだろうか。
この件をきっかけに、私はDさんの担当から外していただいた。事情を聞いた事業所のコーディネイターにねぎらわれたのが救いだった。Dさんは私以外のヘルパー(こちらはお子さんのいる50代の女性)にもクレームをつけるので対処に困っていると聞き、派遣元の苦労が忍ばれた。
長い闘病生活、先のない日々、そして妻に先立たれた孤独な一人暮らし。Dさんの状況には今も同情している。しかし、経済的に恵まれ、2人の息子さんが父親を心配し、毎日交互に泊まりに来てくれている。それだけで心底羨ましく感じるお年寄りは日本中にゴマンといるのだ。ところがDさんはいつも不満だらけ。不満のハケ口を周囲に求め、手を差しのべてくれる人間の数を自ら減らしている� ��そんなかわいそうな一人の老人を目にし、助けてあげたい反面「甘えるな!」と叫びたい心境がずっと続いている。


第10回 お年寄りと接するときの心構え

このコラムを読んだ友人から、「お年寄りには学ぶことも多いけれど、人の意見を聞いてくれなくて困る」という感想をもらった。彼女は高齢の姑と最近同居をはじめたばかり。生活習慣が違い、いろいろ戸惑うことも多いようだ。祖父母とも義父母とも同居の経験がない私は、その苦労を想像するしかない。ごく当たり前のことばかりかもしれないが、今回はヘルパー活動を通じて体感した"お年寄りと接するときの心構え"を少し書いてみる。

●お年寄りは意見を求めていない
お年寄りは人生の先輩である。
先輩とは教える立場であって、教えられる立場ではない……と、先輩になってみると誰でも思いがち。30代以上の方なら、自分より若い人を見て、ついつい口を挟みたくなった� �験が誰にでもあるのでは? 30代でこれだから、60代、70代になったらどれほどかと思う。
いろんなお年寄りに接していて感じるのは、むしろ「教えたがる人」が多いということ。ある男性利用者は、野菜の皮剥き器の使い方を一から教えてくださった。もちろん、今どき皮剥き器を知らない主婦などいないと思うが、彼にとっては新鮮な情報なのだろう、ひととおり教えて私がそのとおりに野菜の皮を剥いたら大変喜んでおられた。こういうときは(時間が許すのであれば)黙って話を聞き、「すごいですねぇ」と感心してみせるのがいちばんいいようだ。
肺の病気にもかかわらずタバコを吸う利用者に、あるヘルパーがタバコを止めるように進言したが、「あんたにそんなこと言われる筋合いはない!」と怒鳴られたこともあった。根本的に人から意見される ことが気に食わないのだろう。耳の痛い意見ならなおさらだ。このように、ヘルパーは正しい意見を述べただけだが、頑なに拒否されるケースも少なくない。
要するに、若い者が対等な立場で意見を云っても、お年寄りは人生の先輩としてのプライドがあるため、反発されることが多いのだ。逆に、助けを求めるかたちを取った方が有効かもしれない。お年寄りもプライドが満たされ、自分もまだまだ役に立つのだという気概を持つことができるから。

●お年寄りは先入観が強い
人の意見を聞かないことと関連するが、年とともに人生経験が増えると、人間だれしも先入観が強くなる。
その結果、人の話を聞かなくなり、決めつけや早とちりが多くなる。
利用者から見ると私は若い世代に入るためか、「若いから、○○� ��んて知らないだろう」とよく云われる。その極めつけが料理をつくるとき。「世代によって食べるものが違うだけで、若くてもみんなお料理はしてますよ」と云っても、先入観の強い人は聞く耳を持たない。しかし、女性利用者の場合、「料理法がわからないから教えてくださいね」と持ちかけると、大喜びで教えてくださる場合もあり、ご本人にとってもいい刺激になる。

●お年寄りはプライバシーの概念がない
私はヘルパー研修で「利用者やご家族のプライバシーをあれこれ詮索しないこと」と教わった。が、介護の現場では、逆に利用者からヘルパーのプライバシーをあれこれ詮索されることが多い。
よく受ける質問は、@「家はどこ?」A「年はいくつ?」B「結婚してるの?」C「お子さんは?」D「ダンナさんはなんの� ��事?」がベスト5。
初回訪問でひととおり質問の洗礼を受けると、2回目からはなにも質問されない方と、さらにあれこれと質問して来られる方に大きく分かれる。
私個人の感覚としては、@の質問以外は人に聞きにくいものばかりだが、お年寄りはあまり気にされない。Dの質問などヘルパー活動になんの関係もないが、しつこく聞かれることがある。職業から相手の生活ぶりを推測したいのだろう。プライバシーという言葉すらない時代に育った方ばかりだから、それはそれでしかたがないことだと考え、適当に受け流す以外ない。訪問回数を重ねるうちに、利用者もだんだんヘルパーに慣れ、質問にも飽きてこられる。

ここに書いたことはあくまでも一般論。全く該当しない方も当然いらっしゃる。
結局のところ「広い� ��で受け止める」ことが肝要で、前もって覚悟しておけば、その場での戸惑いも少なくてすむ。そして、「ものは云いよう」。ものの云い方ひとつで、相手の態度は全く違ってくる。このあたりは相手がお年寄りの場合に限らず、人間関係をスムーズにするコツだとは思うのだが。


第9回 ケアプランを守ることの大切さ

「最近ヘルパーになった知り合いが、いつも予定時間を大幅に超えて残業している」と友人から相談を受けた。時間オーバーはよくある話で、ヘルパーなら誰でも一度は頭の痛い思いをしたことがあるだろう。

2000年4月から始まった介護保険制度の下では、ケアマネジャーが利用者ひとりひとりのケアプランを作成する。ケアプランには本人や家族の希望を最優先しながら、主治医の意見も踏まえ、訪問介護やデイケアサービス、訪問看護、リハビリなどを組みこむ。ヘルパーが仕事をするのはケアプランの「訪問介護」の時間で、ケアプランに従って所定の時間内に所定の活動をしなければならない。日常的に時間オーバーするのはケアマネジャーの読み違いもあるだろうが 、ヘルパー自身にケアプランを守る意識が低いこともある。
相談を受けて、こんな体験を思い出した。

善意の気持ちではじめたが…

痴呆症の女性Cさんのところへは4人のヘルパーが交代で週に6日、1日2時間の訪問介護をしていた。Cさん宅でのヘルパーの仕事は調理と買物、時間があれば掃除、そしてCさんのお話相手。日中、ひとりで家におられるCさんはとてもお話好きなので、一緒に買物に行ったり、調理をしたり、ふれあいを大切にしてほしいという要望だった。
ところが時間が余ったためか、ヘルパーの1人がケアプランにはない洗濯をはじめてしまった。1人がはじめると自分もしなくてはいけないと思い、追随するヘルパーも現れる。さらにそれまでなかった週2回のデイケアも追加され、Cさんはデイケア センターに着ていく服選びに30分も時間をかけるようになった。そんなこんなで調理をしながらCさんを送り出し、掃除と洗濯をしていると、とても所定の2時間以内では収まらなくなってきた。
てんてこ舞いの忙しさの上、毎回時間オーバーとなるとヘルパーも不満が溜まっていく。しかも、時間が足りないので肝心のお話相手がほとんどできない。ヘルパーも不満だが、利用者の不満も溜まる。やがて、ヘルパーが事業所に「Cさん宅の活動をやめたい」と申し入れ、事態が表面に出た。
そこで担当者会議の結果、活動の優先順位を見直したのだが…。
最後に爆発したのは、Cさんの夫の不満だった。「洗濯なんか頼んでへん。別に時間オーバーしてまで、料理や掃除をしてくれんでもええんや。いちばん大切なんはお母ちゃんの� ��手や」
2ヶ月後、Cさんの夫は事業者を変え、私たちがCさん宅を訪問することはなくなった。この件に関して、ヘルパーの言い分もいろいろある。痴呆症のCさんの言葉を夫がすべて真に受け、云われるままに行動するのも話をややこしくした。「ヘルパーとの相性もある。だいたい、不満を云うヘルパーは仕事が遅いんや」―――結局、Cさんの夫はこう結論づけた。

ヘルパーの活動は「利用者の家」という密室で行われ、当事者以外の人の目には触れにくい。双方の言い分が食い違うこともあるし、ヘルパー同士でも話が通じないこともある。個人の感覚に左右される仕事の中で、唯一の共通項がケアプラン。Cさんの場合は、洋服選びに30分も時間をかけるという「不測の事態」がケアプラン見直しのキッカケになった。しかし、 たとえ善意の気持ちからだとしても、ヘルパーがケアプランを軽視するのは利用者とのトラブルになりやすい。


第8回 利用者とともに聴いた癒しの歌

家事援助の中で、案外むずかしいのが「買物」である。
頼まれる内容は大半が食品で、利用者はメモを書いてヘルパーに買物の指示をする場合が多い。たとえば、「カキ」と書いてあった場合、くだものの「柿」なのか、それとも魚介類の「牡蠣」なのか、判断に迷う。買物に出る前に、あいまいな部分は確認するのだが、それでもスーパーの売場でハタと迷うことがある。
また、気を利かしたつもりが逆効果、というケースもあった。ジャムが大好きなおばあさんのためにイチゴジャムを買いに行ったのだが、2〜300gの小さなビンより、1kgの大ビンの方がはるかに安い。「毎日食べるのだから、すぐになくなるだろう」と思い、大ビンを買ったが、ちょうど猛暑の時期。腐る のが怖くてジャムのビンを冷蔵庫の外に出しておけず、結局普段は古い小ビンに小分けにして使われていた。安くはすんだが、結果的に手間をかけることになってしまい、反省…。
食品以外の買物は、やはり生活用品や医療品が多い。トイレの芳香剤は人それぞれにこだわりがあって、なかなか注文の品が見つからなかったりする。ティッシュやトイレットペーパーも、使い慣れているものをほしがられる。医療品は市販薬やテープが多いが、これもモノによっては細かい指示がある。

ヘルパーも楽しい趣味の買物

そんな中で、心のうるおいになるのは、趣味のモノを頼まれたときだ。
あるときは痴呆のおばあさんに女性週刊誌を頼まれ、そこからいつもとは違う話題が広がった。
また先日のこと、慢性関節� ��ウマチの女性が息子さんからCDラジカセをプレゼントされた。ところが、彼女が持っているCDは1枚きり。息子さんは離れて暮らしており、仕事が忙しいので、そうそう買物は頼めない。癒し系の音楽が聴きたいとおっしゃる彼女のリクエストは、佐藤しのぶの「アメイジング・グレイス」。さっそくレコード店で調べてもらったところ、佐藤しのぶさんはこの曲をリリースしていなかったが、ベスト盤でいいものがあったので、私の判断で購入した。
次の活動日にCDを持参すると大喜びされ、私も仕事をしながら、一緒に聴かせていただいた。清拭の合間にふと利用者を見ると、目を閉じて聴き入っておられる。
それにしても、佐藤しのぶさんの「わが母の教え給いし歌」「ある晴れた日に」は感動ものだった。ご存知の方も多いと 思うが、「ある晴れた日に」はオペラ「蝶々夫人」のクライマックスで、息子を手放した蝶々夫人が悲嘆のあまり自殺する直前に歌う歌。そんな話を利用者とすると、2人の息子さんを持つ彼女も蝶々夫人の哀しみを想像してしまうのか、じっと黙って聴いておられた。
どうやら彼女の癒しになったようで、ヘルパー冥利に尽きる体験だった。


7   母の思い出の品に囲まれて

調理と並んで頼まれることの多い家事サービスが掃除である。
家事の中で私は掃除がもっともキライだが、その理由はただひとつ、いちばん体力的にシンドイ作業だから。私ですらそうなのだから、お年寄りにとって掃除はさぞかし大変だろうと常々思っていたところ…

数年間、掃除できなかった家


60代の独身男性・Bさんは90代のお母さんを長年介護されてきたが、無理がたたってご自分が脳血管障害をわずらい、片半身マヒが残ってしまった。Bさんが入院されている間に、お母さんは死去。退院後、一人になったBさんのお宅へ、掃除と洗濯の家事サービスに伺うことになった。
こじんまりとした戸建て住宅に一歩入って驚いた。
部屋の中はとにかくモノ、モノ、モノ…。タンスの上、飾り棚、TVの上とモノが置ける場所にはすべて、人形やぬいぐるみ、造花がところ狭しと並んでいる。壁やガラス窓など、至るところにカレンダー(数年前のものもあった)や人物写真の切り抜きが貼られ、家の中は昼間でも薄暗い。ベッドの上でさえ、亡くなったお母さんとBさんの衣服が積み重ねられ、毎日畳の上に寝ておられるという。
重度の痴呆で寝たきりのお母さんの世話をするだけで精一杯。家の中を片づける余裕なんて、とてもなかったのだ。おまけに、片半身マヒのせいで階段の上り下りが大変になった。その結果、2階は開かずの間に、階段は物置と化した。
こうして、Bさん宅の家事サービスは、毎回年の暮れのような大掃除となった。
まず、ベッドの上を片付け、毎晩眠れるようにした。Bさんには「畳の上とは疲れが違う」と素直に喜んでいただけた。
人形やぬいぐるみはお母さんが大好きだった思い出の品なので、洗えるものは洗濯機で洗い、拭けるものは洗剤で拭き、捨てることなくキレイになった。ガラス窓に貼りつけてあったカレンダーはできる限り剥がし、真っ黒だったカーテンも洗うと鮮やかな黄色になり、窓のまわりが明るくなった。押入を片づけると、亡きお母さんが貯めておられた粗品のゴミ袋、石けんなどがゾクゾク現われた。階段も「開通」し、2階の窓を開けると気持ちのよい風が通り過ぎた。
2〜3ヵ月後、家の中は見違えるほどキレイになった。お母さんの衣服も思い切って処分できれば、家の中はますます片付くのだが、私が訪問させていただいている間は、まだBさんはお母さんの思い出の品に囲まれていたい様子だった。

Bさんもお母さんもモノのない時代を経験した世代。他人の目には乱雑に見えても、モノに囲まれていると安心できるのだろう。私の世代に比べ、この世代の女性が人形に深い愛着を抱くのも、子どもの頃、ほしくてもなかなか買ってもらえなかったからかもしれない。
そして、花が大好きだったお母さんの仏前には、いつも季節の花があった。そんな住む人のやさしさのせいか、私にとってBさんの家は見た目よりずっと心地よい空間だった。


第6回 食事の味つけをめぐる攻防

調理はヘルパーが頼まれることの多いサービスのひとつである。
各種アンケート調査でも実証されているが、お年寄りの最大の楽しみは「食べること」。外に出かける機会が減り、行動関係も狭くなれば、当然食事は最大の楽しみになる。それは私にもわかっていたが…

濃い味つけがやめられないご夫婦

Aさんは脳血管障害から片半身マヒを持つ60代の女性。
やさしい夫の介護を受けつつ、毎日ベッドの上に座り、TVを見ながら日がな1日過ごしておられる。
Aさんの自慢は自分が料理上手であるということ。毎日訪問するヘルパーに料理を頼むのだが、味つけだけは自分でしたいと、台所まで伝い歩きでやって来られる。
ところが、この� �つけがやたらと濃い。目分量で調味料を入れるのはいいのだが、しょうゆ・砂糖とも普通の倍は入れる。おまけにコショウが大好きで、Aさんのキンピラゴボウはコショウの味が強烈だ。
夫婦2人暮らしにもかかわらず、一度に作る量もハンパではない。大鍋にこってりしたものを大量に作り、2〜3日同じものを食べつづけるAさん夫妻の食生活は、息子さん2人と暮らしていた時代に培われ、そのまま習慣が残ったのだろう。
おかずがこんな調子で辛いせいか、白ご飯の量も高齢者世帯にしてはかなり多い。辛いおかずを白いご飯で掻き込むのが、長年の習慣のようだ。
夫が考える毎日のメニューにバリエーションがないのも、偏食に拍車をかける。メニューを考えるのが面倒でたまらない様子なのだが、それでもヘルパーに任� �ようとはしない。好きなものを気が向いたときに食べたい気持ちがそうさせるのだろう。
結局、Aさんは2度の脳梗塞を経験され、現在もコレステロール値が高い。夫は高血圧で薬を服用中。夫婦そろって太っており、その主な原因が食事にあることは誰が見ても明らか。なのに、ご本人たちにはその自覚がない。
何人ものヘルパーが夫妻の健康を気づかって、濃い味つけをやめさせようと試みた。ドバドバとしょうゆを入れるAさんの横で「そんなに入れちゃダメよ」と注意したヘルパーが、「あの人はモノの云い方がキツイ」と担当を外されたこともあった。私も折りに触れて、「今の食事はからだに悪いですよ」と話をしたが、そのときは素直に聞かれるのだが、私が帰った後で自分たちの好みに再度味つけしている様子だった� �

お年寄りは食べ慣れたもの、同じものを毎日食べる傾向が強い。
そして、食の嗜好はガンコに守られつづけ、ほとんどが他人の関与を許さない。
年をとると味覚が衰え、薄味では味気なく感じるケースは多いし、味気ないものを食べるつらさも理解できる。Aさん夫妻のケースがそれに該当するかどうかは疑問だが、食べ物が健康に及ぼす影響の大きさを理解していただけなかった無念は、関わったヘルパー全員がこれからも持ちつづけるに違いない。


第5回 ヘルパーの心得(その2)

● 自宅の電話番号は利用者に教えない。
親しくなると、つい自宅の電話番号を教えてしまうヘルパーがいる。
が、夜となく昼となく利用者から電話がかかるようになり、夜中に呼び出されてついにギブアップ。担当を外してもらう事態に陥る。
仮に、そのヘルパーさんが自らを犠牲にして利用者の相手をしたとしよう。しかし、当人は熱意で押し通せても、他のヘルパーにはとてもそんなことはできない。逆に、利用者には「ヘルパーさんは24時間相手をしてくれて当たり前」という間違った考えを植え付けてしまう。
ヘルパーに連絡したければ、まず事業所へ。利用者にぜひわかっていただきたい常識だ。

● 利用者の希望を尊重し、自分のやり方を押しつけない。
新人ヘルパーもベテランヘルパーも、ついつい失敗しがちなのがこれ。
ヘルパーの仕事は個人の家庭の中で行われる。10の家庭があれば、10の家事・介護の方法がある。それぞれの家庭のやり方にできる限り合わせ、ヘルパーのやり方を押しつけないという原則は頭では理解していても、実際に現場に立つとついつい忘れがちだ。
他人の家庭を日常的に訪問すると、たしかに驚くことが多い。その家の方には当たり前のことが、私には当たり前でない。でも、1日中ふとんが敷きっぱなしだったり、洗濯ものが3〜4日干しっぱなしだったりする私の家庭も、他人から見ればさぞかし驚くことが多いだろう。専業主婦なら楽々こなせる家事が、働く身には負担で、手を抜ける家事 はとことん手を抜いている結果がこれだ。
利用者もきっと私と同じ。健康な身の上なら楽々こなせることが、老いた身にはとても負担なのだ。広い心で、とにかく現状を受け止めるのが大切。
だが、明らかに健康を害する行為を日常的に繰り返している利用者を前にしたとき、私はこの原則の前でジレンマに陥ってしまう。

● ヘルパーは家政婦ではない。
この問題は本当にむずかしい。
介護保険が施行された直後に、「庭の草むしり、犬の散歩はヘルパーの仕事ではない」と厚生省がわざわざ通達を出したが、それほどに現場では理解されていないケースが多いのだ。
ヘルパーはたしかに家事をする。だから家政婦さんと混同されやすい。が、単なる家政婦さんなら、介護実習や福祉概論の講義を受ける必要はない。家事と介護が必要な利用者のために、ケアプランに沿って活動するのがヘルパーの仕事である。
残念なことに、利用者の中には「家事を手伝う人=家政婦」の意識から、なかなか離れられない方がいる。あるヘルパーさんが利用者の男性から「おい、女中!」と呼ばれて、泣きながら帰ってきたという話を聞いた。一般的に、威張り� �がる人、気位の高い人がヘルパーを低く見ることはよくあるが、「他人の家の家事をするから」という理由だけで低く見られてはたまらない。
逆に、ヘルパー側のスキルの問題もある。介護や医療の知識がまるでなく、利用者に愛情を持って接することができないなら、利用者から軽く見られてもしかたがない。

よくある注意点を書いたが、これは現任研修会でも、くりかえしくりかえし注意されていることで、ベテランの中にもルール違反の方がいるようだ。
介護は人と人とのつながりが第一。法律や規則でスッパリ切ってしまえるものではないが、利用者もヘルパーもお互いの権利やプライドを守りながら長くつきあえれば、それに越したことはない。


第4回 ヘルパーの心得(その1)

施設実習が終わり、ヘルパー2級の修了証書を手に入れると同時に、活動可能な時間帯をヘルパー派遣事業所に登録した。以来、土曜日だけではあるが、午前1軒、午後1軒のペースで、コンスタントに活動を続けている。

ここで、ヘルパーが事業所から口をすっぱくして注意されることをご紹介する。「ヘルパーとはなにか?」を考えるのに、とてもいい材料ばかりだ。

● 利用者は名前で呼ぶ。「おじいちゃん」「おばあちゃん」は厳禁。
「福祉」という分野のせいか、日々使う言葉にお役所的なニオイが強いことに、最初は戸惑った。一例を挙げると
ヘルパーとして働くことを「活動する」、ヘルパーの派遣を受けている方のことを「利用者」、着替えを手伝うことを「更衣介助」、利用者がトイレや食事をひとりでされるのを横で見守ることを「自立支援見守り」など、挙げ出したらキリがない。専門用語をわかりやすく説明するライターの仕事と、まさに正反対の世界だ。
その中でも、特に注意されたことが、「利用者は名前で呼ぶ」。
「おばあちゃんと呼んだら返事をされないが、○子さんと呼んだら返事をされた」というのは、一般的にもよくある話。だから女性には「○子さん」と� �前で呼びかける。男性は名前では呼びにくいので、たとえば「鈴木さん」と姓で呼ぶことにしている。

● お中元、お歳暮などモノは一切受け取らない。お茶をいただいてもダメ。
この点は医療関係者と少し違うところだ。
最近でこそなくなったが、数年前までは初めてのご家庭を訪問すると、品物を用意して待っておられるケースがあった。「お世話になるから」というのが先方の言い分だが、絶対に受け取らない。「世話する」「世話される」という概念にとらわれていては、いつまでたっても弱者の権利は弱いままだ。介護保険の理念にもあるように、利用者には「介護を受ける権利」がある。
ところが、これを断り続けるのは案外むずかしい。
利用者の方はなんとかして「感謝の気持ち」をかたちで示そうとされる。あまり断り続けると、怒り出す方もおられる。よく出るセリフが「前のヘルパーさんは受け取ってくれた� �に!」     これを言われるとつらい。

「一緒にお茶を飲みましょう」も、よく云われるセリフ。
利用者とお話をするのは一般的な活動内容だが、一緒にコタツには入ってもお茶やお菓子は絶対いただかない。のどが渇くときはペットボトルを持参する。
断りきれずにお茶をいただいたあるヘルパーが、結局それが毎回の習慣となり、結局利用者の方から「あのヘルパーはお茶ばかり飲んで全然仕事をしない」と苦情が入った。ヘルパーにも言い分はあるだろうが、断りきれなかった時点で間違っている。
私も利用者の家族から、「ヘルパーさんは水臭い。看護婦さんなら、すぐお菓子を食べてくれる」と云われたこともあったが、今後の関係を考え、それでも断っている。
(以下、第5回につづく)


第3回 施設実習で「最期の場所」を考える

3日間の施設実習は特別養護老人ホームM園のお世話になった。入所定員140名、4階建ての立派な施設である。私はもっとも重度のお年よりが集まる2階で研修を受けることになった。

● オムツ交換にはじまり、オムツ交換に終わる
3日間でいちばん多く経験した介護はオムツ交換。
いくら研修を受けていても、生身の人間を目の前にすると、やはり戸惑う。赤ちゃんのオムツ交換の経験もない私には、まったく未知の体験だった。
「重度」とひとことで云っても症状は千差万別。介助者のことを思いやり、スッとおしりを上げてくれる方は本当に助かる。重度の痴呆で天井を見つめているだけの方は重くて、腰の下にオムツをすべり込ませるのもひと苦労。なにを云っても通じないが、なにも感じておられないわけではない。その証拠に、交換後の陰部消毒がしみたらしく、突然「痛いよ〜」と泣き出されたのにはビックリした。
オムツ交換のたびにヒワイな言葉を連発する男性にも驚いた。話には聞いていた� ��、まさに「色ボケ」とはこういうことなのかと実感。逆に、交換するたびに「すみませんねぇ」と申し訳そうな顔をする女性もおられ、意識レベルがはっきりされている方ほどオムツ交換はつらい時間だろうと、改めて胸にしみた。

● 静かすぎる食事時間
食事の時間、まずなによりも驚いたのは、その「静けさ」である。
私たちにとって食事とは、おしゃべりしながらオイシイものを楽しむ時間。ところが、数十人の人間がいながら、会話というものがほとんどない。ただ黙々と、おぼつかない手で、食物を摂取するだけ。スプーンが持てない人には介助者がつくが、これまたあまり会話もない。静かに、淡々と時間が過ぎる。
食後、食堂のTVを楽しむお年よりも何人かいらっしゃったが、これまた会話がない。しかしそれでも、ベッドに横になりボンヤリ過ごす人が多い中で、TVに興味を示す人はまだお元気だ。3日目だったか、たまたま4階の軽症者フロアに行ったとき、歌の練習をしている女性入所者を見かけ、涙が出るほどホッとした。

● 寮母さんも人間だ
寮母さん・寮父さん(ケアワーカーとも呼ぶ)も人の子。入所者に対して、好き嫌いがどうしても出る。
M園の人気ナンバーワンは軽い痴呆の女性。人なつこくて明るい彼女は、若い寮母さんに囲まれることが多く、若いころ共産党の闘士だったのか、リクエストされると得意の「共産党宣言」を暗誦される。20歳そこそこの寮母さんも一緒になって暗誦し、見ていて微笑ましい。
逆に、寮母さんを呼んでも呼んでもなかなか相手にされない入所者も、残念ながら存在する。大抵は(私たちから見て)どうでもいい用事が多いのだが、中にはシーツまで便で汚しているケースもあり、寮母さんもさすがにあわててシーツ交換に走る。
3日間で悟った。ここでは昔の地位も名誉も財産も、なんの意味も持たない。� ��間対人間の剥き出しの関係があるだけ。人に好かれるか、嫌われるか、ひたすらそれが問題なのだ。

私の施設実習はわずか3日間。毎日働いておられる方に比べると、施設の中を垣間見たに過ぎない。が、それでも「人生の最期の場所」を考えるには充分な経験だった。受け入れてくださった施設の方々への感謝の気持ちと、わずかな力ではあるがヘルパーとして活動を続けていることをご報告したい。


第2回 ヘルパーになるには? 

介護保険制度が施行され、時代が求める職業という雰囲気が一気に盛り上がり、一般的にも認知度が高まったせいか、最近、介護ヘルパーを志す人が急増している。
私のまわりでヘルパーになる人は、ほとんどが40代以上の女性。この世代の女性の再就職先として介護関連が多いのは、不況にも関係していると思う。結婚して家庭に入った女性は、子育てが一段落して再就職したくとも、年齢制限の壁が厚く、事務職などではなかなか採用してもらえない。結果的に家事の経験が生かせるヘルパーに、それも登録ヘルパーに偏るのが現状だ。
私は33歳のときにヘルパー2級講習会を受講し、資格を取得したが、約40名ほどの受講者の中で、ほぼ最年少に近かったと思う。活動� �始めてからも、行く先行く先で「あんたのような若い(?)人もいるのか」と尋ねられるところをみると、どうも年配の女性の職業というイメージがあるのだろう。しかし、周知のとおり、最近は20代の女性や男性ヘルパーも増えつつある。

大人気だった無料講習会

94年に私がヘルパー2級の資格を取得したときも、講習会は大人気。年3回あった講習会のうち、1度目は「もう定員に達しました」と断られ、2度目は事業所のアドバイスに従って、受付開始時刻と同時に申し込み電話を入れ、受講にこぎつけた(まるで人気アーティストのコンサートチケットだ)。これだけ人気があったのは、なんといっても「受講料無料」だったからではないだろうか。普通、民間事業者でヘルパー2級講習を受講すると7〜 8万円はかかる。が、私が受講させていただいた事業者は無料で、しかも丁寧だった。さすがに今は時代の流れか7万円の受講料が必要になったが、94年当時は習い事感覚で参加する主婦も多く、資格は取っても実際には活動しない人もかなりの割合で存在したのではないだろうか。

講習会の一例をざっとご紹介すると、日程は24日間・計137時間。講義内容は福祉概論や在宅看護の基礎知識、福祉制度などの講義と、食事・移動・排泄などの実技、そして施設見学・施設実習および同行訪問となっている。
講習会をすべて受講すれば、試験なしで修了証がもらえ、晴れてヘルパー有資格者だ。
就職に有利な福祉関係の資格の中では、もっとも短期間で、もっとも簡単に取得できる資格ではないだろうか。実際、会社勤� �をしながらでも取得できるよう、毎週土曜日に開講される講習会も見かけるようになった。
ところで、講習会の最後は3日間の施設実習である(現在は4日間)。私にとって、それは衝撃的な3日間だった。
(以下、第3回につづく)


第1回  登録ヘルパーをしています。


最初に断っておくが、私の本職はライターである。しかし、3年ほど前から週に1度土曜日だけ登録ヘルパーとして高齢者のお宅を訪問し、家事や介護をさせていただいている。
ところで、登録ヘルパーってなんだろう?
ヘルパーとは高齢者の自宅を訪問し、家事や介護をする人のこと。常勤で活動するヘルパーもいるが、非常勤で仕事があるときだけ活動するヘルパーもいる。在宅介護ステーションなどの介護サービス事業者に登録し、仕事があれば訪問する、それが登録ヘルパー。大抵は時給計算で給与が支払われ、社会保険ももちろんないし、交通費すら支払われないケースもある。身分も収入も安定しないのは、介護保険施行後、新聞などで取り上げられているとおりだ。
� ��が大阪の某事業者に登録しヘルパーを始めた時点では、「有償ボランティア」という雇用形態(?)だった。今でも、私にとってヘルパー活動は「有償ボランティア」なのだが、たとえボランティアでも利用者にとってはプロのヘルパーとなんら変わりはないし、ヘルパーがボランティアであろうとプロであろうと、適正なサービスを要求するのは利用者の当然の権利である。

ところで、「ヘルパーをしている」と人に云うと、必ず返ってくる返答がまずこれである。

@「えらいわねぇ。私なんか、絶対できない」

別にえらくない。
自分ができないと思っている人には、「高齢者=わがまま、ヘルパー=尽くす人」という固定観念がある。「だから私にはムリ」となるわけだが、「高齢者=わがまま」なんてとんでもな� �し、ヘルパー全員がお年寄りに献身的に尽くすわけでもない。愛情をもって接するべきだとは思うが、「尽くす」という語感は現状にあわないように思う。
このあたりを突き詰めるとヘルパーと家政婦さんの違いとか、高齢者の意識改革の遅れとかになるのだが、それはまた後日。

A 「自分の肉親ならできるけど、他人の介護なんて、とてもできないわ」

これも間違い。
一旦身内が介護を必要とすると、365日24時間介護者の生活は介護に縛られることになる。日々成長する赤ちゃんと違って、介護には終わりが見えない。当然、介護者のストレスはたまるし、介護されるお年寄りにそのストレスをぶつけないとも限らない。
他人で、時間がかっちり決められたヘルパーだからやさしくもできるし、多少のムリも聞けるのだ。もちろん、ささやかな収入のためにガマンするヘルパーもいるだろう。

B 「なにか発見はある?」

ありますあります!
私は現在30代。ヘルパーの利用者は60〜90代だから、人生の大先輩である。
祖父母と同居したことがないせいか、お年寄りの生態(?)をよく知らなかった私にとって、ヘルパー活動は毎回発見の連続だ。
60〜90代とひとことで云っても幅が広く、世代、性別、出身地、生育環境、以前の職業などで千差万別。人生の奥義を学ぶこともあれば、和風カレーの作り方を教えていただくこともあり、大小さまざまな発見がある。

というわけで、今回はあいさつ代わりとして、登録ヘルパーについて簡単にご説明させて頂きました。



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